コール・ポーター≪ビギン ザ ビギン≫
ベニー・グッドマン楽団≪シング シング シング≫
グレン・ミラー楽団≪ イン ザ ムード≫
モダン・ジャズの≪ビ・バップ≫
等がロック“ン”ロールを誕生させるきっかけになった。
1941年以後、日本は戦時体制に一色に染まってしまったが、相手のアメリカでは
ニューヨークを中心に、戦争中であろうと、なかろうと盛り上がっていた。
ミュージック・エンターテイメント界では、メイーン・ストリーム(主流派)といった特に白人が支配していて、
もう羨ましいこと限りない程、
例えばアメリカン・ポピュラー・ミュージックで人気のある歌手がたくさん居たり、ピアノやバイオリン等のソロや、
オーケストラ・バックの、演奏など、とにかく色とりどりの活況を呈して、日本人には到底想像もつかなかった。
特に有名な作曲家が輩出して映画音楽、ミュージカル音楽が隆盛を極めた。
ジョージ・ガーシュインの “ラプソディー・イン・ブルー”“サマー・タイム”“パリのアメリカ人”,
コール・ポーターの“ビギン・ザ・ビギン”“アイ‘ヴ ガッチュー アンダー マイ スキン(“君はしっかり僕のもの”で
フランク・シナトラや、フォー・シーズンズ等が大ヒットさせた)”など。
そしてのちに出てくるロック゛ン゛ロールに、意外にも影響をもたらせたのが、
ジャズの≪ビ.バップ“Be.Bap”≫というビートではないだろうか。
なぜならこれでもかという程バンバン打つリズム・スタイルがゾクゾクするほど、私にはたまらなく響く。
ついに最大の影響をもたらせたものが、グレン・ミラー、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの、
それぞれのビッグ・バンド。
ブラスセクションのサキソフォン、トロンボーン、トランペット、それに加えギター、ウッドベース、ドラムス、ピアノと、
大オーケストラ、大音量。
ぱー
これらが奏でるスィング・ジャズの代表ベニー・グッドマン楽団。
超アップテンポのリズムに、特に黒人ドラマーが延々と長く続くドラムソロはジャズ界ドラムの認識を覆すほど、
革新的といわれた。その曲目は私のお気に入りで、
“シング・シング・シング~~Sing Sing Sing(With A Swing)~~,
シング・シング・シングSing Sing Sing~~~”
作曲は-スィングの王様-と言われたルイ・プリマ。アメリカ中で 大ヒットした。
この曲が掛かるとボールルームのダンス・パーティでは、居ても立っても居られなくなりボーイズ&ガールズが、
入れ替わり立ちかわり、踊らされて、激しいステップの≪ジルバ・ダンス≫~~。
ダンスというより、床を這いまわったり、女の子を高々と持ち上げたりと、
もう≪乱痴気パーティ≫が、アメリカ中を席巻した。
もうワクワクするこういったパーティそのものがいよいよ、
絶頂むかえることになり、
遂に≪ロック゛ン゛ロール≫と言われることになる。
※ロック”ン”ロールとは黒人の間でのスラング(隠語)で「セックスをする」という意味で昔から使われていた。
≪乱痴気パーティ≫と≪ロック゛ン゛ロール≫が、同じ意味合いに、
称されてしまった…‼
昔からアフロ・アメリカンのブルースの歌詞には、
悪魔についてしばしば歌うことがあった。これは黒人に奴隷制があって、
人種差別の、悲しみ叫びが為で、抜きがたいものだった。
これを白人たちの子供の教育上、キリスト教の教えに反するとして、
絶対聞いてはならない、 全く聞くものでない、
1935年エルヴィス・プレスリーはミシシッピー州テュプロの、
片田舎でうまれた。双子で弟として生れ、兄は名前もあったのに、
直ぐに亡くなってしまった。両親と一人っ子で慎ましい生活、だったに違いない。
エルヴィスは曾祖父の4代前に、アメリカへ渡って来た移民で、
イギリスのお隣、アイルランド(アイリッシュ)の出自だった。
やはりアイリッシュは移民してからも、だいぶ苦労したに違いない。
本当に優しい父と母親と小さな教会へ熱心に行っていた。アメリカ南部の片田舎だから、信者も黒人が多くいて、
身体中汗だらけになって歌う黒人ゴスペルを何の違和感もなく聞いた。
外ではギター一本で歌ってる黒人のブルースも、 子供心に感心して聞いて自分もギターが欲しくなり、父親に買ってもらった。
そのうち家族は テネシー州メンフィスへ引っ越した、メンフィスは南部の都会だった、そこにはカントリー・ウェスタン・ソングで、
有名なサン・レコード・スタジオの会社があり、サン・フィリップスという社長がいた、16才でエルヴィスは4ドルの小使いで、
母にプレゼントする為にレコードを作ってしまった。
そして運命の巡り会わせで、そのサン・フィリップスが試しにギター、ベースギター、ドラムスの演奏者をセッティングして、エルヴィスを歌を、
歌わせてみた。そしてエルヴィスは休憩中に、一人ギターをかきならし自由に今までありえない歌い方をした処
サン・ フィリプスはじめ周りの演奏者たちすべて、エルビスにとてつもない、
新しい将来性をみいだした。
カントリーウェスタンとリズム&ブルースをかけ合わせて、はたちそこそこの若さでボデイ・アクションにセクス・アッピール,
むき出しで歌った歌は、rock‘n‘roll が完全に新登場したことを決定ずけた。
≪監獄ロック≫刑務所の中でもお構いなしでロックを、思いっきり自由にヤッチャエ ‼
≪ハウンド ドッグ≫俺は猟犬になって獲物を追いかけまわして、首根っこに喰らいついてヤル‼
≪ハートブレイク ホテル≫彼女とヤサぐれて(もう家には帰れない)ヤケパチでホテルにシケ込んでヤル‼
エルヴィスのデヴュー間もない次々とくり出した3曲の洋訳詞の悪のイメージは、あえて作ったものです、
オールディーズということであしからず。
【不良のレッテル】もお構いなし!黒髪が目を引くリーゼント・ヘアーの、
超カッコイイ、若いアメリカン・ポップス・アイドルが誕生した。
こんなアイドル今までにいただろうか?!
騒がれれば騒がれるほどレコードは売れまくり、ライヴで少女たちがギャーギャーのテイで失神が続出。
ティーンエイジャーを持つP.T.A やキリスト教会では、反抗的であるとして、エルビスに対して、
猛烈な反対運動をくり出し、警察までが、ワイセツな歌い方をしていないか監視していたという。
いよいよプレスリーの本領発揮のゴールデン イヤー
Golden Year1956
#1 | ブルー スェード シューズ Blue Suede Shoes | ビルボードランキング |
#2 | ハートブレイク ホテル Heatbreak Hotel | 7週間1位 |
#3 | アイ ウォント・ユー アイ ニード・ユー アイ ラブ・ユー I WontYou, I NeedYou, I LoveYou |
7週間1位 |
#4 | ドント ビー クルーエル Don`t Be Cruel | 11週間1位 |
#5 | ハウンド ドッグ Hound Dog | 11週間1位 |
#6 | ラブ ミー テンダー Love Me Tender | 5週間1位 |
The King Of Rock“n"Roll
Elvis Presley.